2013年12月29日日曜日

「ずっと好きな歌」と「無意味良品」と、「ザ・ベストハウス123」 〜井上晃一を悼む

 BSフジで「ずっと好きな歌」と「無意味良品」が放送された。1123日に亡くなった井上晃一が構成・演出した番組だ。
 「ずっと好きな歌」は、ドラマー・村上"ポンタ"秀一がホストの音楽番組。毎回のテーマにトリビュートするアーティストを選び、そのアーティストを敬愛するアーティストをゲストに招いて、トークと楽曲のカバーライブを行うという内容で、普通のTVでは観ることのできない、クリエイティブで、音楽的に濃い番組だった。たくさんのミュージシャンズミュージシャンが、出演してくれた。音楽事務所としてのBUGのカラーを表していたと思うし、ノウハウを注ぎ込んだ番組だった。幸いなことに評判も良く、開局以来、BSフジの看板番組とまで言われていた。

 「無意味良品」は、僕がプロデューサーとしてクレジットされている。キムスネイクというキャラクターを世に出したいと相談されて、井上晃一と一緒に企画した。敬愛する阿川佐和子さんを口説き落として、レギュラー出演していただいた。木村タカヒロという絵描きが産み出す奇天烈なキャラクターが世界中から無意味なものを集めてきて、ゲストが品評するという構成。要所にオリジナル音楽も織り込んだ。社長役のキムスネイクの声は、井上自身がやっていた。「あー、よいねー!」。総合演出がナレーションもやるという不思議な世界。撮影現場も編集スタジオも、一体感と笑いが溢れていた。そそのかすのが得意な彼に騙されて、僕もバーのマスター役のナレーションをやらされていた。熱い雰囲気に、草創期のテレビ番組って、こんな風に創ってたんじゃ無いかなと思ったりしていた。
 それにしても、一般的には無名のクリエイターを追悼してテレビ番組が放送されるのは異例のことだと思う。編成部長の立本洋之さんの厚情と、BSフジの度量の広さには、本当に感謝したい。この恩義は一生忘れません。ありがとうございます。総集編の編集にも愛情がありました。

書籍版「無意味良品」
 井上晃一と知り合ってからは20年近く経つ。2003年頃から2010年位までは、週の大半は一緒にいた。どれだけの時間、話をしたのだろう。些末なことから、深遠な内容まで多種多様な会話をしていたれど、とどのつまりクリエイティブとは何かについて、いつも話していたような気がする。そして、とても影響を受けた。僕が音楽プロデューサーを逸脱して、コンテンツビジネス全般について語るようになったのは、別の理由だけれど、あらゆるカテゴリーのコンテンツ、作品つくりに通底するプロデュースの基本姿勢が持てたのは、彼のお陰だ。

 フジテレビのプライムタイムで放送した「ザ・ベストハウス123は、レギュラーになる
前の特番のセットを考えるところから近くで見ていた。「ピストルバルブ」という僕が始めたアーティストを出演させることを前提に企画していたようなところがあり、視聴率を気にしながら毎週を過ごすという、初めての体験をさせてもらった。「自分が本気を出すと視聴率が下がるから、テキトーにやるのがちょうど良い」と言いながら、抜群のバランス感覚を見せていた。

 映画とかテレビとか音楽とかカテゴリーにとらわれずに、全てを俯瞰して、具体を産み出す才能は、希有だった。幅の広さと切り込みの鋭さを両方持っているクリエイターは、滅多にいない。本当に特別な人だった。

 一緒に立ち上げたプロジェクトの方針がずれてしまい、お互い本気だったが故に、袂(たもと)を分かつことになったけれど、別の機会で、いつか何かを一緒にやるんだろうなと漠然と思っていた。けれどもう、かなわなくなった。

 井上晃一は、人間関係でも仕事においても、過剰に背負い込む性質で、極度のマッチョだった。権威を信じず、弱者に優しい性格は良いのだけれど、多くのことを抱えすぎる。自分の会社を「動物保護区」や「モンスターゾーン」と名付けているくらいだから、自覚は十分にあったけれど、自分の体力、精神力を過信していた。僕が近くに居る時は、散々、批判して、だいぶ減らさせていたたけど、最近は没交渉で、止めてあげることはできなかった。近年の彼の周辺のスタッフは、僕の紹介だったりするから、その不甲斐なさには、腹立たしさと哀しみがあるけれど、、、。

 死亡の報せを聞いたとき、不思議なことに驚かなかった。年下の突然の死なのに、想定内のような気がした。これまで持ったことの無い感情だった。悲しみというよりは怒りに近い、喪失感とも違う何か。
 すぐに井上の携帯に電話して「自分は死なないと過信してたろう?だから言ったことじゃない。反省しろ!」って、言いたかった。自死では無かったけれど、長年の無茶と不摂生がたまりにたまって、身体が遂に限界点を超えたのだろう。生命力は異常に強い男だったから、仕事を離れて、養生に専念すれば違ったはずだけれど、そういう選択はできない性格だった。

 本当に烈しい感情は言葉で表現するのが難しい。何かを書かずに居られずに、このブログに書いている。さっきから、井上がKIM社長役で歌った「The store of HOPE」を口ずさみながら、涙が止まらない。レコーディングスタジオで、彼の歌をディレクションをした時の事を思い出す。
 心の置き場が無いけれど、もう作りたいものは作ったから、気が済んだんだな、と思うことにする。

 お前はやめても、俺は続けるよ。

 合掌。 

2013年11月10日日曜日

もう日本のプロ野球を真剣に観ないと決めた理由〜日本シリーズ2013〜

 今年の日本シリーズは盛り上がったようだ。東日本大震災から復興途中の東北をフランチャイズとする楽天イーグルスが、読売巨人軍を破っての日本一。空前絶後の記録を残したマー君こと田中投手の存在。話題になる要素が多かった。僕自身も、楽しみにしていた。
 第7戦まで戦い、高い視聴率を誇って、楽天が日本一になって盛り上がった。結果は良かったし、水を差したくは無いけれど、このままでは日本のプロ野球は、駄目になるのではと心配だ。

 野茂投手が大リーグで活躍するようになってから、多くの試合が日本で観られるようになった。イチロー、松井秀喜に続いて、ダルビッシュまで渡米し、日本人の野球ファンにとって大リーグは身近な存在になっている。今年のワールドシーリーズを制覇したボストン・レッドソックスの胴上げ投手は、上原だった。
 日本のプロ野球が大リーグの下部組織化して、空洞化していくのではないかという懸念の声も聞かれる。

 僕は、野茂以降の日本人選手の大リーグでの活躍ぶりは、日本野球のレベルの高さを証明することと前向きに受け止めてきた。実際、その価値はともかくとして、WBCでも第一回、第二回は優勝することができた。
 送りバントの多用などいわゆる、日本的野球の作戦は批判されることが多かったけれど、バレンタインやヒルマンなど、日本からの「逆輸出」された監督の出現で、評価が上がっている。

 日本人野球ファンの楽しみ方も、日本野球の強みだと思う。投手の継投策や、ヒットエンドランなど「小技」な作戦選択に感情移入する日本の野球ファンは、爽快感と参加意識を求める米国野球ファンよりも深みがあると思うし、日本野球を成長する原動力にもなっていると思う。日本人は何でもにするというのは功罪あると思うけれど、「野球道」的な視点を僕は、日本野球ファンの一人として愛している。

 さて、今年の日本シリーズ。星野、原両監督の采配に、そんな野球ファンを満足させる繊細さはあっただろうか?全試合の子細をチェックした訳では無いけれど、「勝つために、あらゆる策を尽くす」という日本人好みには応えていなかったように思う。選手起用にも工夫は見られなかった。「シーズン通りの野球」というのも一つのポリシーなので、否定はしないけれ、これが野村、森、落合、など名将と言われる監督だったら違う作戦はあっただろうなとは思う。
 
 僕が一番、批判したいのは、星野監督の田中投手の起用法だ。今季のスペシャルな成績から言って、「日本シリーズはマー君と心中」という方針をとるのは、賛成だ。多少の負荷を掛けても、良いと思う。でも、もしそう思うなら、第1戦先発だったはずだ。第1戦を避けた時点で、どこかを故障したのかと思った。第2戦を観て、それは杞憂だと知った。その時に僕は「星野監督は、指名打者の使えるホームゲームである第2戦と第6戦を田中投手に任せるという作戦にしたのだ」と思った。普通に考えれば、第1戦、第5戦と先発で投げて、第7戦はリリーフ登板待機、星野監督の性格と今の楽天の戦力なら、第1戦、第4戦、第7戦の先発という選択肢もあったから、ちょっと意外に思った。一般的には巨人の戦力の方が層は厚く、14敗の可能性もあったから、勇気のある選択だとも。

 短期決戦は、何が起こるかわからない、32敗で第六戦を迎えて、マー君の先発。今年の田中投手は時の利があるな、星野監督は賭に勝ったと思った。結果は、今年初の黒星がマー君についてしまったけれど、160球超を投げさせたのは、理解できるし、美しい在り方だった。
 第七戦に登録して、登板させたのは「本人の意思だ」と、星野監督自身がメディアで語っているけれど、リーダーとしての資質に欠けた発言だと思う。そりゃあ、ピッチャーに聞けば、投げたいっていうでしょ?リーダーの最大の仕事の一つはリスクヘッジだ。そういう使い方をする可能性があるなら、第1戦で先発させるべきだった。行き当たりばったりで、気合いや根性で決めるのは、真っ当なリーダーの選択では無い。責任放棄だ。
 
 アスリートの最大の敵はケガだ。不運な大ケガもあるけれど、避けられるケガもある。横綱貴乃花が、前日に負った膝の大怪我をおして千秋楽の土俵に上がって勝ち、小泉首相の「感動した」という名言を呼んだけれど、あの時休んでいれば、大鵬を超える超名横綱になっていたのかもしれないと思って、今でも残念だ。(そもそも武双山のまわしが緩かったのがケガの原因で、相撲界はまわしの締め方の指導について反省するべきだと思っている。)今回のことで、もし田中が肩を痛めたら、星野監督は、どうやって責任をとるんだろう?

こんな記事もあった。

 大リーグの基準で言うと、1年間の酷使指数を1試合で超えているらしい。ましてや翌日の登板なんて問題外の外だろう。米国式が全て正しいとは全然、思わないけれど、投手の肩は消耗品と、大切にする思想は、少し学んだ方が良い。
 高校野球の春夏の甲子園日程も、そろそろ考え直すべきだと常々思っている。

 辛くても頑張るという、浪花節的な姿が日本野球の魅力だと、メディアが思っているとしたら、大きな間違いだ。今年の日本シリーズは、大味だった。選手が力と力の激突をするだけなら、大リーグの方が魅力的だ。様々な可能性を想定し、策を尽くして、勝ちに向かうのが日本野球の醍醐味だし、それに耐えうる能力を持つ選手が居るのが日本野球の強みだと思う。
 高い視聴率をとり、話題と感動を呼んだ2013年の日本シリーズが、日本野球下降の契機にならないことを祈りたい。

<関連投稿>

2013年11月4日月曜日

JASRACの審決取消で、新聞が書かなかったこと。 〜キーワードは、デジタル技術活用とガラス張りの徴収分配


 音楽ビジネスに関する記事が新聞の一面記事になることは珍しい。東京高裁が公正取引委員会の審決を取り消したことは、112日付けの朝日、読売、毎日朝刊で、トップ記事になっていた。著作権への関心が高まるのは嬉しいことだけれど、記事の内容には、首是できない部分も散見された。
 

 包括契約というのは、JASRACが、放送局と結んでいる契約の形態のことで、信託されている楽曲をまとめて許諾している仕組みだ。この契約が、他の著作権信託会社の参入障壁になっているというのがイーライセンス社の主張。公正取引委員会が行った審理で、認められなかったので、東京高裁で争われていた。
 私見だけれど、東京高裁の今回の判断は妥当だと思う。JASRACだけが放送使用料を受け取る状態は異常だ。新聞論調もJASRACを批判するものが多かった。
 ただ、JASRACを悪者に見立てて、事態を理解するのは、短絡的だとも思う。

■ポイントは、放送局側の協力姿勢

 放送局の音楽の使用については、本来、使用者である放送局が、許諾を受け、使用の詳細を報告する義務がある。包括契約は、個別の許諾もなく、また番組制作の予算管理上も煩雑にならず、スムーズな番組制作と音楽流通という面では、大きなメリットだ。そのメリットを享受しているのは放送局で、法律が変わり、著作権管理団体が複数になったのであれば、それに対応して、使用報告や許諾交渉を行うのは、当然の事。99%超と言われる放送使用におけるJASRACのシェアは、JASRACの責任もあるのだろうけれど、それ以上に放送局側の姿勢や楽曲管理の体制が生んでいる側面が強い。

  また、イーライセンス側の弁護士が「(包括契約は)料理で言えば『食べ放題のビュッフェだけ』みたいなもの。アラカルトが楽しめないのはおかしい」と批判している(112日付毎日新聞)けれど、かなり的外れな発言だと思う。TVやラジオにおける著作権使用の実態を知っているのだろうか?
 放送番組をつくる際に、商業化されたほとんどの楽曲が自由に使えることは、コンテンツ制作上は便利で、そこに個別の許諾を紛れ込ませようとしているように聞こえる。これまでの楽曲使用の自由は担保した上で、総合的に、生態系として成り立つ報酬体系を再構築するというのが、本件のポイントのはずだ。

JASRACの貢献と古い体質からの脱却の動き

 これまでの日本の音楽市場、コンテンツ産業におけるJASRACの貢献は、非常に大きい。アジアなど新興国と比較しても、日本みたいに楽曲の使用に対価を払うという思想が浸透している国は少ない。「欧米並み」という言葉は好きでは無いけれど、国際的に胸が張れる著作権管理体制を日本が持っていることはコンテンツ産業にとって大きな日本のアドバンテージで、JASRACが果たしてきた役割は大きい。
 以前より、「カスラック」と蔑称するネットユーザーは減ったようだけれど、全ての悪をJASRACに押しつけるような風潮を感じることはある。その種の発言は、勘違いも多く、濡れ衣を着せられているケースも散見する。JASRACの功績について、日本人はもっと評価するべきだと思う。

 一方で、JASRACが古い体質を引きづっているのも事実だ。JASRACの運営は作詞作曲者と音楽出版社によって行われるので、理事や古い会員には、高齢の作曲家先生も多い。発想や視点が守旧的になりやすいという構造を持っている。JASRACの設立は1939年。長い歴史があり、昔は「とれるところから、できるだけたくさん使用料を取って、クレームが出ない程度に、大まかな基準で分ける」というやり方も、やむを得なかったのだろうけれど、デジタル技術が進化した今、体質改善は求められている。

 僕が代表のBUGコーポレーションという会社もJASRAC正会員になって、10年以上になるけれど、不満はある。例えば、コンサートもカラオケも同じ「演奏権」という区分にして、25%という高い手数料を取っている。カラオケ店が乱立していた頃ならいざ知らず、今は通信カラオケの時代で、第一興商とエクシングの二社の寡占状態だ。片田舎のカラオケスナックでの使用料が徴収できなくてもよいから、手数料を10%以下に下げて欲しい。まして、コンサートにおいては自社が「著作権使用者」側になることも多く、自社のリスクで、所属アーティストがコンサートをやっているのに、JASRACに払う著作権使用料から25%の手数料が取られるのはあまりに理不尽。CDよりライブエンターテインメントの比重が高まっている昨今、手数料改定がされなければ、演奏権をJASRACから引き上げ、自己管理する音楽事務所が出てくるだろう。特に海外来日アーティストの問題提起がきっかけで、日本のコンサートにおける著作権使用料は増額している。高率の手数料は納得がいかない。
 とは言え、全体として俯瞰して見れば、日本のコンテンツ産業の発展に対して。JASRACの功罪は、功の方が圧倒的に大きいのが実情。近年は、理事長、会長も替わり、前述の古い体質からの脱却も始まっているように感じている。既得権益を守るのでは無く、日本のコンテンツ産業が活性化する方向での運営を期待したい。

■イーライセンスのやり方も褒められない

 一方、正義の味方、被害者という位置づけのイーライセンス社だけれど、僕は必ずしも支持できない。これまでやってきた「戦い方」が乱暴過ぎるからだ。自社に徴収、分配できる状態かどうかを判断せずに、放送局に対して、いきなり著作権使用料を求め、使用を差し止めるのは、やり過ぎだと思う。
 包括契約によって、倖田來未など一部アーティストの楽曲の契約が無くなったことを裁判所が重視したとの記事もあったけれど、あまりに乱暴な姿勢に、権利者が嫌気をさしたのかもしれない。プロデューサーやマネージャーの立場で、自分が関わるアーティストの大切な楽曲を、どこに信託するかという時に、今のままのイーライセンスは、率直に言って、選びづらい。礎のロジック自体は正しいと思うし、問題提起は十分に果たしているのだから、今後は、本当の意味で権利者と使用者の利益を、広い視野で追求する会社になって欲しいと思う。

 実際、「第2JASRAC」と呼ばれる中には、素晴らしい会社もある。僕は自分が関わる作品は原則的にJRC(ジャパン・ライツ・クリアランス)に信託することにしている。JRCは坂本龍一や、L’ArcenCiel、スピッツ、THE BOOMなどのたくさんのヒット曲も管理している。荒川社長はITサービスにも造詣が深く、USTREAMやニコニコ動画などの新しいITサービスともいち早く交渉の場を持ち、権利者の利益を守りながら、新サービスの発展にも寄与するというスタンスで活動している。前述したカラオケなどの演奏権もJRCに管理して欲しいのだけれど、「完全な状態で徴収分配する準備ができてない」という理由で、慎重に構えているようだ。良い意味でJASRACと競い合うような存在になって欲しいし、一部のITサービスなどにおいては、既になり始めている。

■キーワードは「デジタル技術を活用した、ガラス張りの徴収分配」

 実は、本件の問題点、放送局の著作権使用料の包括契約については、解決の道筋は見えている。キーワードは「デジタル技術を活用したガラス張りの徴収分配」。2009年設立のCDC(著作権情報集中処理機構)を中心に、NTTのオーディオフィンガープリント技術を活用して、放送で使われた楽曲をサーバーに貯めて、クローリングを行って、全曲を割り出してのデータ制作が始まっている。CDCを中心に、NTTDATAなどが協力をして、全曲データを作成、分配データには使用されている。近年は精度もあがり、データ量も増え、かなりの確率で、楽曲が特定できる。放送局からの使用報告が簡単になり、正確な使用データができるのだから、一石二鳥だ。

■著作権管理における「競争」とは何か?

 この方式を徴収にも適用すれば、信託団体の差違は問題では無くなる。問題は、使用料の交渉は、相対で、交渉力で決まるということだ。一部の新聞記事には「この判決をきっかけに競争が起きることが期待できる」という、「競争=善」という論理の、思考停止的な内容があって、残念だった。どんな土俵で、何について誰が競争するか語らなければ無意味だ。放送局での楽曲使用料は、公的は話し合いで決められるのが、適切だと思う。信託団体の交渉力では無く、権利者側と放送局者側が第三者も交えて、年間の使用料総額を決め、分配については、全量データを基に、各団体が行うというルールにできれば、権利者は、とりっぱぐれを心配せずに、著作権信託会社を選ぶことができる。


 著作権の徴収と分配は、コンテンツビジネスの礎だ。今回の東京高裁の判断が、音楽ビジネス活性化の方向で活かされることを期待したい。


<イベント告知>
書籍『世界を変える80年代生まれの起業家』出版記念イベントを11月11日(月)渋谷iCon Loungeで行います。ゲストは、安藤美冬さん。10人の起業家による3分ピッチ有。懇親会も行いますので、是非、いらしてください!前売チケットは、tixeeにて。

2013年10月20日日曜日

米国音楽市場で始まっている変化の芽

  最近、ブログをサボりすぎだったので、プチ反省して、少なくとも週1回くらいは、1週間のニュースを振り返って、短くても何か書こうと思う。というのも、昨年11月から『音楽ビジネス最前線』というメールマガジンを毎週、監修していて、ニュースキュレーションを毎週やっている。1週間のニュースの中で、音楽ビジネスに関係のありそうなニュースを選んで、簡単な解説付きで紹介しているのだ。毎週末にその作業をやる習慣はできているので、その時に一番気になった記事について、ブログに書くのなら続けられる気がしている。(メルマガ購読もヨロシクです。

 今日は、海外音楽ITサービス事情をわかりやすく紹介してくれて、いつも助かっているジェイコウガミ君の「Alldigital music」から、この話題を。


 「Nielsen SoundScan」による、2013年度第3四半期米国音楽売上レポートは非常に興味深いものだ。
 概要は、

<デジタル・アルバム売上>
・前年同期2830万ユニットから5%減少
・カタログ(旧作)の売上は前年同期比1.4%減少し、4240万ユニット。一方新作リリースは6.6%増加で4530万ユニットと好調。
・1-9月までの9ヶ月間でみると6.1%減少
<パッケージ売上>
・CD売上は12.8%減少し、1億1310万ユニット
・アナログレコードのアルバム売上は30%増加し、410万ユニット

 この変化の意味を僕は、米国音楽配信の主役が、iTunes StoreからSpotifyへと変わるの兆しだと捉えている。金額の減少は、「主役の変化」の時期の過渡的な現象で、必ずしも悲観すべき状況ではないと思う。音楽配信が楽曲単位のダウンロード型から、ストリーミングによる月額課金(サブスクリプション)型に変わるだろう。
 関係者の話によると、Spotifyの有料会員は、確実に伸びていて、既に800万人を超えて、早ければ年内にも1000万人に到達する模様だ。特に米国での増加が著しいそうだ。日本法人も着々と準備を進めているようなので、サービス開始を心から期待したい。

もちろん、このままアップルが黙っているとは思えない。再生プレイヤーとしてのiTunes、配信プラットフォームとしてのiTunes Storeの存在は米国では圧倒的だ。iCloudに加えてMusic Matchというパーソナルクラウドの機能も提供している。既にiTunesをベースに楽曲を購入して、ライブラリーを持っているユーザーは、アップルのエコシステムから離れるのは強い抵抗感があるだろう。新サービスiTunes Radioで、新たな音楽のリコメンド機能も強化されている。
 ただ、音楽配信サービスにおけるDL型からストリーミング型への移行という大きなトレンドは、環境の変化による必然だというのが僕の基本的な認識だ。
 いずれにしても、米国音楽市場は、世界をリードする存在だ。この変化に注目していきたい。

 パッケージ売上についてもCD売上は減少しているけれど、アナログが増加していることにも着目したい。ストリーミングが主流になる時代のパッケージの役割はこれまで以上に、コレクションとしての価値になる。アーティストやレーベルがパッケージの在り方、見せ方を工夫すれば、音楽ファンへの興味喚起は可能なはずだ。

Austinの老舗CD店Waterloo
 最近の米国では、パッケージの価格が安値一辺倒から、少し戻っているようだ。2006年に大好きなニューヨークの街からタワーレコードが無くなった時は、本当にショックだった。ウォールマートを初めとするスーパーマーケットが主なCD販売のチャネルになり、アルバムが9ドル90セントで売られ、客寄せのツールとなったと聞いていた。
 でも、今春に行ったオースティンの老舗CD店では、ほとんどのCD12ドル〜15ドル、アナログレコードの主価格帯は20ドル以上だった。今頃は、CDアルバムが8ドルくらいになっているのかなと思っていたので、驚いた。米国でも、パッケージの価値は再認識されているような気がした。

 もう一つ、この記事で着目したのは、レーベルのシェアだ。「レコード会社のマーケット・シェアでは、ユニバーサルレコードが38.3%、ソニー・ミュージックが29.1%、ワーナーミュージックが19.7%」とある。メジャー3社で9割のシェアだ。
 一方、日本は34%だ。ここに日本の音楽市場の特殊性が表れている。エイベックス、ビクター、キング、トイズファクトリー、ポニーキャニオンなどは、グローバル視点では、ドメスティックインディーズレーベルとなる。
 米国も以前は、メジャー比率は50%から70%を行き来していると言われていた。元気なインディーズレーベルが売上を伸ばして成功するとメジャーレーベルに売却するというのが、米国音楽市場のシステムの一つだったらしい。9割になった現状は、どうなんだろう?そもそもパッケージと配信という、原盤からの売上をベースにシェアを語ることが無意味な時代になっているのかも知れない。

 また、Spotifyについては、大物ミュージシャンからの反対論が話題を呼んでいる。最近も、こんな記事があった。


 トムヨークの時も同様だったけれど、この種の批判は、僕からは論理的に成立していないように思える。Spotifyは、楽曲の著作権使用料とは別に、売上の5〜6割をレーベルとアーティストに支払っている。新人アーティスへの支払が少なすぎるというのは、音楽配信サービスに対する期待が過剰過ぎる。これまでレコード会社が担っていた、新しい才能への投資をIT企業に期待するのは、お門違いではないか?
 それだけ、Spotifyの存在感が欧米では大きくなっていて、脅威を覚えているのかも知れない。KickstartaterIndiegogoなどのクラウドファンドが、その役割を受け持っているように日本に居る僕からは見えるのだけれど。

 そんなことを思う、201310from東京。ともかくは、欧米に比べて"周回遅れ"を走っている日本の音楽配信状況が、前に進むことを心から願う。

2013年10月13日日曜日

違法ダウンロード罰則化施行から1年。善悪論では無くて、そろそろ「次のこと」を。

 昨年施行された改正著作権法、違法DLの罰則化から一年経って、いくつかの記事が出ていた。ネットでの論調は、改正自体に批判的なものが多かったように思う。
 産経デジタルの記事は、こんな見出しだけれど、2012年の日本の音楽パッケージ売上が、前年比10%増になっていることは書かれていない、事実認識に問題のある記事だ。ガラケーからスマフォへの移行で「着うた」市場が崩壊したマイナスはあるけれど、インターネット音楽配信とパッケージ売上は上昇している。編集委員だから言う訳では無いけれど、新聞社のサイトなのだから、せめて「デジタルコンテンツ白書」くらい目を通してから記事を書いて欲しい。


 もちろん、音楽売上が微増したのが、違法DL罰則化の効果とは、僕は全然思っていない。レコード業界側も、法律改正の大義名分として、違法DLが音楽売上にマイナスだったという主張は掲げても、法律が変われば音楽売上が大きく回復するとは思っていなかっただろう。
 ただ、従来型の「複製」を基本概念とする著作権において、インターネット上でデジタルコピーが広まることは、明らかな「悪」で、その動きにアンチテーゼを述べるのは、立場としては、当然の態度ではある。

 この記事にあるレコード協会の広報部長のコメントは、理知的な内容だ。守旧派の代表のように位置づけられるレコード協会だけれど、この見解は、真っ当に感じた。立場上、言えないことはあるのだろうけれど、事態を冷静に受け止めてのコメントには好感が持てる。

 違法DL刑罰化の効果に関する分析は、シンプルで、ACCS(コンピューターソフトウエア著作権協会)が行った調査を見れば明らかだ。
 2012101日を境に、Winnyなどのフェイル共有ソフトへのアクセスが半数程度に大幅減しているというものだ。抑止効果はあったのだと思う。問題は、これを、「違法コピーする悪い奴が減った」プラスと考えるか、「ユーザーが音楽と接する機会が減った」マイナスと捉えるかのポイントだ。僕自身は、音楽ビジネスに関わる者の一人として、デメリットを心配する気持ちの方が強い。

 それから、もう一つ大事なことは、法律の運用の監視だと思っている。僕が知る限り、この違法DL刑罰化が拡大解釈されて、ユーザーが無闇に捕まるという事態にはなっていない。(もし、そういう事件が起きているなら教えてください!)
 違法DL罰則化を必要以上に(そう、風営法のクラブ摘発のように)使うような動きは、絶対に止めなければならない。法律の運用状況チェックするのは重要だ。濫用につながるようなら、運用ガイドラインの再設定などは必要になってくるだろう。

 また、上記の記事でMIAU(インターネットユーザー協会)の理事の発言も載っているけれど、時代遅れな感じがして残念だ。論理的には通っていて、ごもっともなのだけれど、1年前の「敵」を悪役に仕立てたいという気持が透けて見える気がする。「水に流せ」とは言わないけれど、インターネットを先駆的に啓蒙するのだとしたら、「複製権」ベースの著作権での善悪論を展開するのでは無く、建設的な提案が聞きたい。
 あらゆるコンテンツがクラウド化されてアクセスする形になる近い未来が見えている今、「アクセス権」とでも呼ぶべき著作権の在り方をどうするのか、未来型の議論をするべき時期だ。

 日本では、音楽パッケージは、少なくとも暫くの間は残る。
 購入の目的は音楽を聴くためだけではなくて、コレクションだったり、アーティストとの関係性の証だったり、CDを購入することで満足感を得るユーザーが、日本の一定数いることは間違いない。
 一方で、音楽を聴く方法は、大きく変わる。アップル社がつくったiTunesを中心としたエコシステムは秀逸な仕組みだったけれど、既に世界的にも過渡的な存在として位置づけられている。各自のデバイスでファイルを持つことは不要になるからだ。
 クラウド管理でのストリーミングというスタイルの中で、ユーザーにどんな利便性や出会いを提供するのかが、今の音楽サービスの課題だし、音楽ビジネスにおける最関心事なはずだ。

 そんな時代に違法ダウンロード罰則化の法律への是非にエネルギーを注いでいる場合ではないのではないか?日本社会にとって無駄な労力だと思う。
 どんな時代になってもハッキングを楽しみにしたり、法律の裏をかいて商売する業者は居なくならない。罰則もルールも必要だけれど、大筋としては、次世代の取り組みにエネルギーを注ぐべきだろう。

 音楽ファンが音楽を楽しみ、アーティストが潤い、新しい才能が出てくる生態系を、新たな環境でどうやってつくっていくのか、そのことをみんなで議論したい。

 若手起業家との対談集を出版したのも、そんな問題意識からだ。時代の変わり目にどういう挑戦をするのかのヒントを得る材料として世界を変える80年代生まれの起業家』(スペースシャワーブックス)、活用してもらえると嬉しい。

2013年10月7日月曜日

『世界を変える80年代生まれの起業家〜起業という選択』を出版した理由


 僕にとっては4冊目となる書籍は、80年代生まれの起業家との対談集。

 若者の職業選択について語るなんて、分不相応なテーマ設定だけれど、強い問題意識を持って取り組んだつもり。

 きっかけはいくつある。
 元々は、音楽プロデューサーとして、「何故、日本から音楽ITベンチャーが出てこないんだろう?」という疑問があった。これからの音楽ビジネスを活性化するのはITサービスだ。欧米では、若い世代が面白い音楽サービスを立ち上げて、にぎやかなのに、何故日本では無いのか?残念に思っていた。

 ところが、ハッピードラゴンでふくりゅう君と二人でsensorというイベントを始めて、自分の認識が間違っていることを知った。音楽とITに関するトーク+懇親会イベントには、アントレプレナー(志望者)が観客として来てくれて、出逢いがあった。日本でも音楽ITサービスをやろうとしている若者は居る。ただ、音楽業界とまったく接点が無いから知らないのだった。猛烈に反省したし、すごく期待を持った。少しでもここを繋ぐ役割をしたいと思った。

 出版してくれたスペースシャワーネットワークの役員に、その話をしたら、書籍化しようという話をいただけた。音楽専門チャンネルスペースシャワーTVは、今年の12月に開局25周年を迎えるのだけれど、「昔は、面白い若い奴がMusic Videoをつくってた。今の世代はは、ITサービスやってるんじゃないかな?」というその方の言葉に、我が意を得たりと思った。

 それから、近年、大学などでの講義を頼まれる機会が出てきて、学生と話す機会が増えてきて、就職活動が、「シューカツ」と呼ぶ以外は、30年前から何も変わっていないことを知った。正直、驚愕した。

 80年代半ばに就職した同世代の友人達は、超売り手市場で、一流大学出身者だと接待されるみたいに、囲われて就職していた。当時の僕は「一流企業に就職する生き方は安定するけれど、魅力的で無い」と思って、自分で音楽の仕事を始めてしまったけれど、その後、10年も経たないうちに、銀行や一部上場企業も平気で潰れる時代が来て、「安定」ですら無くなった。

 高度成長時代のプロトタイプ的な「企業戦士」は、今の日本企業が求める人材では無くなっている筈なのに、新卒一括採用に仕組みは、ほとんど何も変わっていない。おそらくは、前例踏襲の惰性のたまものなのだろう。日本経済の活力を下げている一因に違いない。僕は、大企業の人事とは無関係な仕事だけれど、そこにも一石を投じたくなった。安易な起業は、もちろん良くないけれど、安易な就職と採用もどうなのよ?と。

 紹介する起業家に共通するのはポジティブな姿勢。独自のアイデアで成功に向かって邁進している。グローバルは当たり前。ソーシャルメディアもあるのが前提で、過剰な期待は持っていない。自然体で構えている。
 音楽業界でだけでは無く、日本社会が元気になるには、彼らの力が必要だと思う。紹介した全部の会社が成功するとは思わない。おそらくは経験するだろう失敗も含めて、価値があると感じている。
 僕自身、ITベンチャーのサービスと、コンテンツ業界、メディア業界とのハブのような役割を、少しずつでも担っていきたいと、微力ながら思っている。

<本書に登場する起業家>

creww 伊地知天 ...スタートアップ­起業家を支援!
tixee 松田晋之介 ...新世代のチケットサービスに挑戦!
Beatrobo浅枝大志 ...ロボット型ガジェットで世界­を席巻!
nana 文原明臣 ...スマホをマイクに、世界をつなぐ音楽を!
フリクル海保けんたろー ...ミュージシャン自らバンド支援!
Fogg関根 佑介...人気スマホアプリの企画­者から起業家へ!
TUNECORE 野田 威一郎 ... 世界的音楽配信サービスを日本で展開!
ワンプルーフ 平山和泉 ...eコマース支援の女神降臨!
Wondershake鈴木 仁士 ...ネットショッピングエンターテイメント!
クレオフーガ西尾周一郎 ...アマチュア作曲家向SNSを運営






 そんな思いで、まとめた本です。拙いところも多々ありますが、是非、読んでみてください。ご批判も受けたいと思います

 11月11日(月)に出版記念のイベントを計画中。決まり次第、詳細を発表します!

 ちなみに、ティザー映像は、尊敬するTOFUcreativeの大森さんに、帯の推薦文は、起業家と同世代の安藤美冬さんにお願いしました。ご協力をありがとうございました!

2013年7月11日木曜日

『プロ直伝!職業作曲家への道』執筆伝

 僕にとっては3冊目となる書籍が明日、出版される。過去2作は共著で、責任は等分だったけれど、今回は監修者として全部を引き受けているので、これまでよりも背筋が伸びる感じ。
 実際の作業は、リットーミュージックの担当編集者、山口一光さんが、ハイレベルで進めてくれたので、とてもスムーズだった。日々の仕事に追われている中で、原稿を書いたり、書籍を監修する作業は、結構、大変なのだけれど、BUGのアシスタントの適切なフォローと優秀な編集者のお陰で、ストレス無く、納得のいくクオリティになっていった。足を向けて眠れないな。感謝。
 この本では、僕以外に11人の方に協力をしてもらっている。みなさん、忙しい中で、趣旨を理解して、協力してくださって、本当にありがたかった。
 個々のコーナーやお一人ずつへの感想は、本書の各章で書いたので、ここでは繰り返さないけれど、人と人との繋がりを感じて、幸せな気持で作業させてもらった。

 アーティストと対になる概念の象徴として、「職業作曲家」という言葉を使っているけれど、多くの部分は、プロの音楽家全般に有益な内容だと思う。と言っていたら、本書のエディトリアルデザイナーの心にも刺さったようで、クリエイティブな仕事に携わる人全般に通じる部分もあるようだ。なんといっても、「作曲家への道」とか言いながら、カッコイイコード進行とか、役に立つプラグイン情報とか一切無い。仕事をしていく上での「考え方」を軸にして書いたので、結果「生き方」の話になっているかもしれない。説教くさく感じたらごめんなさい><

 ティザー映像は無理を言って、大好きなTOFU大森さんにつくってもらった。とても気に入っている。「金言集」みたいになっているので、是非、観て欲しい。FBページやSlideShareでは、多くのページを「立ち読み」できるので、まずは、そこからどうぞ。

 これからどんなリアクションがあるのか、本当に楽しみだな。遠足の前の日みたいな気分。

■公式ページ
■Facebookページ

2013年6月18日火曜日

野球は誰のものか?そして音楽は?

  日本プロ野球機構が、球団にも、選手会にも、メディアにも秘密で、使用球の反発係数を上げていたらしい。いわゆる「飛ぶボール」だ。用具メーカーにまで情報統制を強いたのも酷いけれど、あり得なかったのは、加藤コミッショナーの記者会見だ。


 事務局長の独断だったかどうかなんて、全然、興味ない。第三者機関の設立とか、時間の無駄だ。
 僕が、コミッショナーとプロ野球機構事務局長に欠けていると思うのは、野球への愛情と公共財という認識だ。

 この記者会見からは、野球への「愛情」や、日本の大切な文化を預かっているという「矜持」が、全く感じられなかった。プロ野球コミッショナーが野球への愛を表現できないというのは、非常に大きな「不祥事」だと思う。そもそも人選を間違えている。

 これは、喩えるなら野球の神様への冒涜だ。日本人である僕の信仰心は、八百万の神を敬う気持がある。テレビでプロ野球を観て、近所で草野球をやっていた子供の頃から、野球は大切なものだ。
「野球の神様を大切に」という言葉には、選手、指導者、審判、ファン、100年を超える(少なくとも日本の)野球に関わった全ての人へのリスペクトが込められている。

 選手会が、この件へのオブジェクションで、「契約条件がを理由にしたのはよろしくなかった。ファンのマインドが冷める。「同じボールを使っているから、条件は共通ですよね。」とクールでいて欲しかった。


 野球を仕事に人たちは、日本人に広く愛され、数多くの名選手を生み、WBCでは2度も世界一になり、様々な人が関わってきた「野球」に対して真摯であるべきだ。比喩的に言うなら、野球の神様に恥ずべきことはしてはならないのだ。

 僕がナベツネ(に象徴される読売新聞が野球を冒涜するスタンス)に嫌気がさして巨人ファンをやめたのは、野球の神様に胸を張れることだと(まったく個人的な、他人にはどうでもよいことだろうけれど)思っている。
 
 そんな事を熱く、思っていたら、「お前、音楽はどうなんだ!」という声がどこかから、聞こえてきた。
 そう言えば、僕は、「音楽の神様に恥ずべき云々」という発言をすることがある。

 IT事業者が、音楽を道具にするのは、この価値観で嫌だ。スティーブ・ジョブズは尊敬する起業家だけれど、音楽の神様を大切にするという価値観では、褒められないと思う。ジョブズ自身は主観的には、音楽が好きだったかもしれないけれど、楽曲を一律99セントと定めて売るという発想は、多様性の担保が大切と考える立場とは真逆だ。

 Googleがコンテンツ流通のルールを決める社会になることに、僕が絶対に絶対反対なのは、「音楽の神様がお喜びにならない」という確信があるからだ。アーティストもユーザーもプロデューサーも、音楽に深い愛情を持った人たちが、ルール決定に関与できる社会に、少なくとも日本はありたいと思うし、そのために努力したい。

 さて、音楽業界はどうだろう?私利私欲で、判断をしてないだろうか?もちろん、僕たち愚かである人間は現世で生きていくために、キレイゴトだけでは居られない。いつもいつも、音楽の神様を第一にはしていらなれない。でも、音楽の神様に恥ずかし事はしたくないと思う。

 レコード会社の音楽配信サービスへ許諾の姿勢については、どうだろう?自社の利益を追求したいのは、会社として当然だ。
 一方で、音楽は野球と同じような意味で「公共財」であるという認識が必要だ。ましてやレコード会社はお金を出しただけで、実際に創作している訳では無い。許される「教義」は、自己(とアーティスト)の権利の経済的利益の最大化だろう。膨大なカタログ数をできるだけ、多くの人に聴かせて、換金もする、というスタンスを明確にすべきだ。
 クラウド型の音楽ストリーミングサービスに対する許諾には、経済的合理性を伴うことは必須だと思う。特に「許諾をしない」のだとしたら、アーティストやユーザーが納得できる理由が必要だ。

 Googleは論外で、アップル社にも懐疑的な僕が、Spotifyをはじめるとする近年のストリーミングサービスに好意的なのは、開発者や経営者から音楽への愛情が感じられるのが理由の一つだ。実際、SXSWで会った音楽サービス事業者は音楽好きが多かった。僕が音楽プロデューサーだと知ると、「どんな音楽をつくっているんだ、聴かせてくれ」という奴もいた。
 新しい技術を活用しながら、ユーザーと音楽との出会いを増やし、再生回数に応じて、透明に分配するという考え方は、とても良いと思う。
 レコード会社は、カタログの収益最大化という考え方の延長で、MG(ミニマム・ギャランティをがっぽり取ってよいので、新しいサービスを積極的に活用するべきだと思う。

 音楽も野球も公共的な財産だ。積み上げてきた先人達の歴史があり、支えるファンがいる。傲慢になって「音楽の神様」や「野球の神様」に対する敬意を忘れてはいけない。自戒も込めて、しみじみ思う。

 今回のプロ野球機構の「統一球情報隠蔽事件」は、自分が大切にするものは、何か。考える機会になった。だけど、感謝しないよ。コミッショナー!
  プロ野球コミッショナーは、野球の神様に仕える神官の自覚を持つべきだ。
 もう、お金も名誉も十二分におありなのでしょうから、晩節を穢されませんようにと、僭越ながら申し上げます。

2013年5月26日日曜日

スポーツ四分類から学ぶ、グローバル化対応法。クールジャパン施策に活かせない?

 前回の僕のブログを、切込隊長こと山本一郎さんのYahoo!個人のブログで引用された。光栄なことだ。


 山本さんはしっかりとした見識をお持ちで、こちらの主旨も理解してくださっているようだが、「コンテンツ輸出の政府支援に慎重」という意味では、僕と真逆の立場だ。「武士の情けで見逃してって言ったじゃーん」と思いながら、反論を書こうと思ったけれど、白鵬対稀勢の里の一番を観ていて、気が変わった。ちょっと変化球視点で、コンテンツ輸出について語ってみたい。

 スポーツのグローバル化の形態を四分類してみることにする。自分の仕事がどれに当てはまるのを意識的である事は「頭の体操」としてだけど、意味があるはずだ。 

 まずは、野球について語ろう。米国で隆盛を極めるbaseballは明治期に日本に入ってきた、野球というネーミングが正岡子規だと言われている。明治時代の人たちは、欧米の言葉の意訳、翻案が上手だった。東洋に無かった様々な概念を上手に漢字に当てはめた。中華人民共和国なんて、日本からの輸入した語句を二つも国名にしているのだから、それだけでも、少しは日本に感謝して欲しいよね。

 野球は国民的スポーツと言われる。長嶋さんと松井秀喜が国民栄誉賞を受賞したのは記憶に新しい。WBCで二連覇した。野球のレベルは世界有数だ。、9連覇をした頃の巨人が、当時のドジャース戦法だったダウンスイングや送りバントなどをたまたま採り入れて、野球道の中心に据えたみたいな解説もあるようだけれど、ともかくルールや道具はbaseballのままで、作戦や投法、打法などの方法論で日本式を編み出して、世界一のレベルになったのだから、大成功例と言えるだろう。
 その成功があるから、読売新聞や高野連などの旧勢力が胡座をかいて、野球界の改革が遅々として進まないというところまで、「野球」型の特徴としてとらえるべきかもしれないけれどね。

 では、baseball以上に国際的なスポーツであるfootball、サッカーはどうだろうか?
 Jリーグが始まったときの100年構想が素晴らしかったと思うのだけれど、こちらは、グローバル基準に乗っかっている。イタリア、スペイン、イギリス、ドイツといった、世界の「本場」に日本選手が出ていって、結果を出し始めている。僕が10代の頃は、W杯に出れたらいいねっていっていた日本のサッカーだけれど、今の日本代表は、半分くらいの選手は、本気で優勝しようと思っているように見える。僕が生きている間に、日本代表がW杯の決勝戦で観られるかなと無邪気に思える。

 企業スポーツだった日本リーグを改組して、プロ野球のように親企業の名前をチーム名にせずに、欧州クラブをお手本に改革した姿は、賞賛に値する。ただ、まだサッカーについては一流国とは言えない。発展途上の新興国というところだろう。

 柔道の話もしたい。僕は、日本古来の武道だった柔道は、無くなって、新たにJUDOという世界スポーツができたのだと思っている。オリンピック種目にして、青の柔道着やポイント制を認めた時点で、もう柔道では無い。ルーツである柔道のスピリットをJUDOに反映させるという努力なら正しいことだけれど、いまだに一部の柔道関係者は、勘違いしているようにも見える。
 日本発祥のスポーツが世界に広がって、しかもトップレベルに日本のアスリートがたくさんいるのは素晴らしいことだと捉えた方が良いと思う。それが嫌なら、JUDOには参加しないことにして、日本だけで、一本勝ちしか認めない武道を極めればよいのだ。

 国際的な普及に柔道関係者が努力をして、せっかく、新しいJUDOという世界スポーツを創ったのに、その価値を日本人、特に柔道関係者が正当に評価できてないのは残念だが、それはともかく、日本のコンテンツを海外に広める際の方法論として、参考にするべき事はありそうな気がする。
 
 対照的なのは相撲。大相撲を観ると、近年は幕の内力士は半数近くが外国人だ。プロ野球やサッカーよりも、国際化が進んでいるとも言える。ただ、やり方は徹底している、全員、チョンマゲをして、まわしを締めているし、入れ墨をしている力士は居ない。日本語を話す。親方になるためには日本人国籍がマストだ。

 大切なのは、どこの国籍では無くて、大相撲の伝統が守られているかだと僕は思う。朝青龍は親方の教育が悪くて(朝汐って若い頃から、気が優しくて、決断力に欠けて、親方には向かなそうだった^^; )、中途半端な引退になってしまったけれど、白鵬は日本の伝統を背負ってくれている。中途半端な日本人力士より、よほど日本の美を感じる。

 60年以上の相撲ファン歴を持つ僕の父親は、最近は栃ノ心を応援している。グルジア出身の力士だ。愛国者で、決してリベラルとは言えないし、特に相撲に関しては保守的な父だけれど、国籍よりも相撲の伝統が大事だと言っている。相撲ファンには大切なものがわかるのだ。

 近年の相撲協会の不祥事は残念だったけれど、相撲に必要なのは変化では無くて、伝統を守るという覚悟だ。伝統を守るために組織形態が合わなくなっているなら改革は必要だけれど、僕は親方衆の気の緩みが最大の原因だと見ている。

 整理すると、
1)ルールはそのままで、方法論、戦術的な日本流を編み出して世界一になっている「野球」型
2)ルールも方法論も、グローバルスタンダードに対応すべく、組織を改革した「サッカー」型、但し、まだ発展途上。
3)日本発祥ながら、世界の新しいスポーツとなった「JUDO」型。しかも日本人選手は結構強い。
4)日本の伝統的なルール、様式に従えば、どんどん外国人を受けて入れ行くという「相撲」型。横綱が外国人になっても伝統は揺るがない。

 グローバル化への対応にもこれだけの方法論があり得るのだ。

 音楽で言えば、クラシックやジャズのミュージシャンは「サッカー」型で活躍している。コスプレは「JUDO」になりつつあるかもしれない。ニコニコ動画などの二次創作は「相撲」型の成功を模索すべきだと思う。
 欧米音楽を消化して新しい様式を産みだしたJ-POPは一時期、「野球」だったんだけど、最近は軟式野球になって、海外の試合では通用しなくなっているかもしれないなって反省したり。

 比喩には功罪あるもので、この四分類がどこまで有効かは、わからないけれど、グローバルへの対応法は、多様にあり得るということは、イメージできるんじゃない?

<スポーツについても時々書いてます>
●コンテンツとしての大相撲の価値 〜JUDOと相撲の二方向で国力向上に活用しよう〜

●松井秀喜の通算500号を祝いつつ、思うこと。

2013年5月5日日曜日

クールジャパン推進会議に間に合わなかったけど、コンテンツ輸出への極私的処方箋〜国のお金の使い方〜


これまた、アップするタイミングが遅くなってしまったけれど、「クールジャパン推進会議」に関する私的な意見。

ブロガーやまもといちろうさんからは、こんな批判があった。
 見識の高い鋭い指摘なのだけれど、切り込み先は、違う方向でお願いしたい。敵がいるのは、そっちじゃないんだよね。「武士の情けで見逃して」って感じ。多少変でも、政府が振興策を出す方向で考えていただきたい。

 中村伊知哉さんも、初音ミクとかガンダムとかニコ動とか、サブカルの具体を言い過ぎだなとは思う。「炎上協会」会長らしい、議論を呼ぶための作戦かもしれないけれどね。

初来日のMay
 このクールジャパン推進会議は、ネットを見ていると、切込隊長だけではなく、批判も多い。「政府主導はだめだ」「国の金を当てにしないで自分達でやれよ」という意見も多かった。その通り。

 「民間主導でやれ」ってという意見は、その通り。微力すぎて申し訳ないけれど、僕だってやっている。タイでシンガー・オーディションをやったのは、2006年だ。16才の美少女を見つけて、日本でメジャーデビューさせて、アジアでもリリースした。もちろん、全部、自分のリスク。やっと形になるかというところで、卑怯な奴が勘違いして内部崩壊、失敗したけれど(Sweet Vacation関係者とファンの皆様、本当にごめんなさい)、アジアのシンガーと日本のプロデュースの組合せでグローバルに勝つという考え方で、継続して頑張っている。血を流しているとまでは言わないけれど、潤沢には持っていない知恵もカネも汗も涙も鼻水も流せるのものは全部流して、必死でやってきた。これからもやる。「お上の施しなんかあてにするもんか、すっとこどっこい!」って気概は持っているつもり。
オーディション後のスナップ


 でも、実際に海外のカンファレンスや市場状況を見ると、政府支援が違いすぎて驚愕する。こっちが個別に竹槍で戦っても、戦車と爆撃機でやられる感じ。ゲームのルールが違うんだよ。

 こういう話では、必ず比較になるK-POPだけれど、実際のところは、韓国も模索中だと思う。アップルがソニーとimodeを参考にiPodiTunesStoreの仕組みを作ったように、韓国のSMエンターテインメントの手法はJ-POPの応用から始まっている。
 国を挙げての応援がある中で、K-POPは、日本以外の国では、まだ成功とは言うのは早い状況だろう。それから、何度も言ってるけれど、国際基準で見れば、韓国の政府支援体制は特殊じゃ無い。ヨーロッパの小国だって、自国のポップミュージックを売るために相当の努力をしている。何もしていない日本が特殊だ。

それで、どうするべきか?
この問題の本質的な解決策は、海外の市場で利益を出せるプロデューサーがたくさん出てきて、グローバルなビジネスモデルと稼ぐノウハウを持つことだ。

以上終了、なんだけど、、、

 じゃあ、どうするかの答えは簡単じゃ無いし。まして国の政策として、どう落とし込むのかは、全然わからない。頭の良い人達に考えて欲しい。
 ただ、実際に現場で頑張ってきた身として、低い視線から、とりあえず、絶対にやっておいた方がよいことは確信がある。

J-POPの海外輸出活性化のための政府の役割>
●海外フェス出演者には渡航費を出す
日本カルチャーをテーマにしたフェスは世界中に数百とあるらしい。Sync Music Japanが情報収集を始めたら、あっという間に100を超えた。日本の業界関係者が知らないところで、J-フェスが行われている(最近でこそ有名になったパリのJapan Expoもこの前まで、そうだった。)

 一定規模のフェスティバルから公式に呼ばれたアーティストの渡航費は全額補助と決めて欲しい。何故なら、海外では政府補助がある方が普通なので、渡航費を要求するとフェスの主催者がびっくりする。エコノミーで出演者以外は1名とかシビアな基準でも良い。航空会社に協力して貰ってもよいかもしれない。
それだけで、あっという間に、日本人アーティストが海外ファンの前でコンサートをする機会が急増する。

SXSWではパーティをやる
 世界を代表するITと音楽(と映像)の祭典SXSWのレポは、先々月に書いたけれど、日本の税金は1円も使われなかった。多くの国が億単位のお金を掛けている中であまりに酷い。SXSWは日本レップがあるのだから、海外のメディア関係者を集めて、日本のIT企業やアーティストと交流する場をつくるべきだ。期間中に会場付近に常設スペースを持つのが良い。数千万円あれば、ずいぶん、いろんな事ができる。
 SXSWで模範例をつくって、他のカンファレンスに応用すれば良いと思う。

テレビ局とレコード会社が協力できる仕組みにする
 これまでの業界慣習に則ると映像コンテンツではテレビ局が、楽曲(原盤)については、レコード会社が中心になる。ただ、表向きの見解はともかく、テレビ局やレコード会社の幹部で、本気で海外で稼ごうと思っている人は、ほとんどいない。残念なことだけど、国内に閉じた従来のエコシステムが秀逸で、できるだけ長く、これを守りたいと思うのはやむを得ないし、そのことで僕らに恩恵があるのも事実だ。
 けれど、もう守るだけでは無理だ。尊皇攘夷か文明開国かって事では無くて、海外で稼ぐモデルを模索して確立する必要がある。テレビ局やレコード会社を軸にしないで、でも上手くいったら、彼らにもメリットがあるような仕組みで進めたい。

 テレビ局やレコード会社に暖かく見守っていただいて、実際にコンテンツをつくっている人たちが、海外に「道場破り」に行くような形をつくるのが良いと思う。

●ドラマの音楽は一律に許諾して、不足分は国が払う
 海外に番組販売する際に、レコード会社が音楽の許諾を出さなくて、あるいは許諾に何ヶ月もかかって、流通の阻害要因になっているというのは、意外に知られていないかもしれない。
 最終的なルールは、ビジネスモデルができて、お金が回り始めてから考えることにして、とりあえず、期間限定でいいから、海外のテレビ局が買った作品の音楽は自動的に許諾をだすことにして、一定の基準で不足分は政府が補う形にするのが、話が早いと思う。大した金額にはならないはずだし、その金額が問題になるほど、海外番販が進んだら、嬉しい悲鳴だ。
 僕も最近知ったのだけれど、1クール(12)×1時間というセットは、完全に日本だけのルールで、海外で売るには不自由だそうだ。そう言われてみれば、米国や韓国のドラマシリーズは長いよね?こういうところから考えて、変えていかないと、輸出大国にはなれない。

●歌番組も同様にして、アーティストへの不足分を補填する
 日本の歌番組が海外で観ることができないというのも大きな問題だ。NHKJ-MELO」が唯一、国際放送として頑張ってくれているけれど、「Mステ」が台湾など一部で流れる位で、J-POPの存在感は薄い。人気がある時にしっかりやってなかったので、今や日本の歌番組を買おうとする局も減っているという。
 局が販売に難儀をする一つの理由は、著作権のことがある。放送については許諾がとれていても、ネットに流すのは別途の許諾が必要という話。前述のドラマ音楽にもある構造なのだけれど、「放送と通信の融合」とか言っているのは日本だけで、もう既に海外のほとんどの国のテレビ局では、そもそも区別無くネットサービスもセットで行っている。「放送だけ」の販売と言っても、先方には、そんな枠はそもそも無いのだ。

 こういう問題では、「事務所がうるさいから」と悪者にされることがあるけれど、僕の知り限り、ほとんどの事務所は、むしろ積極的に海外番販して欲しいと思っている。海外でコンサートツアーをやるケースは増えてきたし、収益もあがるようになってきたけれど、楽曲を聴かせる方法が無いという、泣きそうなくらいナンセンスな話になっている事例も多い。

●大手広告代理店に予算管理をさせない
 国の予算でプロジェクトをやる場合の事務局運営は、実質的に大手広告代理店が行う事が多いが、やめるべきだ。何もコンテンツは創らない彼らの事務局経費で、莫大な金額が消えていく。
 役所にとって、確実なレポートを提出して「事故対応」をしてくる「保険」が欲しいのはわかるけれど、いくらなんでもコストパフォーマンスが悪すぎる。事務局運営は、筋肉質かつガラス張りで運営する仕組みがマストだ。
 広告代理店には、企業協賛をとりまとめるという本分のところでは、大いに力をお借りしたい。サムソンや現代はK-POPと連動して、イメージアップしている。広告クリエイティブ含めて、重要な役割を求められている。ポジションをきちんとつくって貢献してもらいたい。

 安倍政権は金融政策に続いて、外交でも得点を上げていて、成長戦略にも期待が掛かる。音楽は売上金額は小さく見えるけれど、国のイメージ戦略上は非常に重要だ。J-POPの好感度は世界中でびっくりするほど高くて、日本の成長戦略の一翼を担うポテンシャルは十分にある。ただ、お金の使い方が、高度成長時代の土木のゼネコンみたいでは、時代遅れのビジネスモデルを守っている既得権益への補助金と化して、コンテンツ輸出には全く効果が無い。海外でのマネタイズという新しいスキームに本気で取り組んでいる人を支援する仕組みとなることを、心の底から懇願している。

<興味のある人はこちらもどうぞ>
●オースティンで感じたこと。〜SXSW2013レポート〜

●グローバルな音楽活動視点でのスイバケ・ブロデュース記録

●独断的音楽ビジネス予測2013 〜音楽とITの不幸な歴史が終わり、構造変化が始まる年に〜