2011年5月5日木曜日

グローバルな音楽プロデュース活動記録<1> ~モンゴル・レコーディング体験記

  私のプロデューサーとしてのテーマは、ソーシャル(メディア活用)、グローバル(な視野での活動)、コラボレーション(異業種連携)です。ソーシャルメディアについては、著作(『ソーシャルネットワーク革命がみるみるわかる本』・ダイヤモンド社)に、書かせていただきましたので、このブログで、グローバルな音楽活動に関して、私の経験や考え方などを記していこうと思います。
1回となる今回は、モンゴルでのレコーディング体験記です。

 2003年頃の話です。私は、「ワールドミュージックの要素を取り入れた新しいJポップ」というコンセプトで、「東京エスムジカ」というグループを立ち上げて、プロデュースしていました。所属事務所は私の会社(BUG)で、レコード会社はビクターエンターテインメントです。ファーストシングル『月凪』は、全国FM局のパワープレイ数の新記録をつくり、注目をされました。音楽活動経験の無い三人のメンバーでファーストアルバムをつくるのは、様々な困難がありましたが、超一流のエンジニアやミュージシャンのお力をお借りして、よいアルバムをつくることができたと思います。エンジニアの松本靖雄さんは天才だと思ってます。忙しい彼がよくアルバム全曲を付き合ってくれたのと今でも感謝してます。『World Scratchを機会があれば聴いてみてください。

 セカンドアルバムの制作に当たっては、海外の民族音楽家のレコーディングへの参加をテーマにすることにしました。2作目は、これまで以上に、アーティスト性、オリジナリティを深めることが必要だと考えたからです。

音楽的にも、それまでは民族楽器の音色をデジタルサンプリングした音源を主に使っていましたので、楽曲のキーやフレーズなどに制約がありました。自由に曲をつくらせ、アレンジをして、本物の民族音楽家に演奏して貰えれば、音楽的な可能性も広がります。
どこか1つの国だけだと、その国の色が強くなりすぎるので、3カ国位はやりたいと思いました。メンバーの希望やグループとしての見え方など、総合的に考えて選んだのが、モンゴルとインドネシアとルーマニアでした。モンゴルは馬頭琴やホーミーという独特の民族音楽があります。インドネシアはガムランやケチャなどがありますが、観光的に知られているバリ島よりも、より豊穣で重層的な深みのあるジャワ島のジャワガムラン、そしてルーマニアは、ジプシー(差別的と言う事で最近は、「ロマ」という言い方をしますが)バンドをフィーチャしました。

 まずは、それぞれの国の情報を集めます。アメリカやイギリス、フランスならば、音楽専門のコーディネーターを探すことは簡単ですが、これらの国は、日本の音楽業界人がレコーディングに行く場所ではありません。この分野には一番詳しそうな同業の先輩に相談に行きました。「Boom」の所属事務所ファイブディーの社長であり、音楽プロデューサーとしての造詣の深い佐藤剛さんです。剛さんは快く相談に乗ってくださり、ジャワ島に関しては、国際交流基金の方を、ルーマニアのジプシーバンドについては、ワールドミュージックのアーティストの招聘コンサートを数多く手がけていらっしゃる、株式会社プランクトンの川島恵子社長を紹介していただきました。ところがモンゴルについては、ルートが思いつかないとのことでしたので、日本のモンゴル大使館に、私が飛び込みで電話をして、文化担当の書記官に会いに行きました。

 渋谷区松涛の住宅街にあるモンゴル大使館を訪れて、話を伺い、日本モンゴル文化友好協会という団体があることを知ります。事務局長の石河信昭さんを紹介され、全面的な協力を得ることができ、レコーディングの準備が進められるようになりました。
それにしても、モンゴル大使館に行く前に、予習としてモンゴルに関する本を数冊読んでおいてよかったです。その本には、「モンゴル人は、無愛想な態度をとるように、日本人からは見えることがあるけど、ただの習慣で、悪意は無い」と書いてありました。確かにお話ししていても愛嬌が無いというか、無駄話もされないのですが、実際は親身に対応してもらえました。

海外レコーディングに限らず、新しいことに挑戦するには、相応の準備とが必要です。特に新人アーティストで作品をつくる場合は、私自身がしっかり勉強し、理解して、その上で、メディアやユーザーに対しては、あたかもアーティストが思いついたかのような演出で、そのアイデアを提示しなければなりません。一度に三方向からトンネルを掘って、真ん中で繋ぐようなシミュレーションを行うことになります。複雑なパズルを解くような思考が必要ですが、知的に楽しい作業でもあります。
この時の海外レコーディングでも、音楽的豊穣さなどを知った上で、作品への取り込み方を考えると同時に、モンゴルでレコーディングを行ったことの必然性が、帰国後にはメンバー自身の口から説得力がある言葉で語れるように、そんな逆算をしながら、プランニングをしていきました。

 友好協会の方の紹介で、国立管弦楽団に所属するモンゴルNo.1の馬頭琴奏者でホーミーもできる音楽家と、女性では一番の馬頭琴奏者にお願いできることになります。
モンゴルの空港に着いたのは、夜でした。まず驚いたのは、空港からホテルまでの道路で、ものすごく車が揺れることです。首都ウランバートルの空港から市街地までの道路の舗装が、日本では経験したことが無い位、悪かったのです。一行はメンバー3人と私、そして記録の映像と写真をとるカメラマン兼ディレクターが2名。6人でした。通訳は現地で雇います。
ツアーでもレコーディングでも、海外に行く時は、スタッフを最小限に絞って、私が何役も務めることにしています。この時もツアーコーディネーター兼プロデューサー兼ボディガード兼荷物運び、、、と、要するに演奏と撮影以外の仕事は、全部私がやりました。これは、移動宿泊費を倹約するという予算的な理由もあるのですが、それだけではありません。  
海外で仕事をすると、日本の様に、予定通りに物事が進むことは、まずありません。約束が反故にされることも日常茶飯事ですし、習慣の違いなどで思い通りにならないことが普通です。その際に、責任者である私が即判断して、対応することが、結局はトラブルを最小限に抑えることになります。また、アーティストに不自由を強いることも多いので、社長の私が先頭に立って汗を書き、苦労する様子を見せることで、状況を理解し、納得してもらうという意図もあります。アーティスト、特にシンガーは精神的な状態で、レコーディングの出来不出来が決まることも多いので、ストレスを軽減することは、良いレコーディングをするために必要です。

 ということで、モンゴルレコーディングの際も、アシスタントを連れずに、先頭にたって働きました。まず最初のトラブルは日本語通訳が病欠(!)だったことです。友好協会とも関わりが深い女性コーディネーターが付いてくれたのですが、彼女の専門は韓国語で日本語は不完全です。(余談ですが、ドラマ「冬のソナタ」のモンゴル語訳をやって、モンゴルに韓流ブームをつくった人のようです)。来てくれるはずだった日本語通訳が体調が悪くて来られないという、日本だと考えられない事態が起きました。幸運にもメンバーの瑛愛が在日韓国人で、民族学校に通っていたので韓国語を完璧に話します。困った時は、瑛愛を介して韓国語で話して、解決をしていきました。


民族が入り混じった集合写真。自分が金髪で驚いた
 ちなみに、滞在最後の夜に、モンゴルの大物音楽家(政府の仕事もたくさんされている大御所作曲家、日本で言えば服部克久先生のような存在でしょうか?)とそのご家族と食事をしたのですが、その時の言語環境は壮絶でした。その大音楽家はロシアに留学していたので、モンゴル語とロシア語しか話しません。20代の子供達は、英語がある程度話せるので、私とは英語で話します。コーディネーターと瑛愛は韓国語でも話しますので、結果、10数人の3時間余の食事会は、日本語、モンゴル語、韓国語、ロシア語、英語の五カ国語が飛び交うことになりました。楽しかったですし、貴重な体験でしたね。

ウランバートルの街並みは、テレビで見たロシアの景色に似ていました。ソ連時代に関係が深かったからでしょうか、いかにもロシアのビルっぽい団地風のビルが並んでいます。
 レコーディング・スタジオは、テレビ局が入っているビルの中の奥まった一室にありました。内装などは見慣れないですが、置いてある機材は日本と変わりません。パソコンで「プロトゥールス」というソフトを使って、レコーディングします。スタジオの付きの若いエンジニアは英語堪能ではありませんが、ソフトが共通ですから意思疎通にそれほど問題はありません。ちょうどリリースされたばかりの英国の人気ロックバンド「RADIOHEAD」のアルバムの話をメンバーとしていたのが、印象に残っています。おそらくは、インターネット経由で手に入れたのでしょう。「音楽は世界言語」と言われますが、インターネットの発達で、音楽を作る人同士は明らかに「共通言語」が持てるようになっていますね。

4月のモンゴルは、まだ寒いです。雪こそありませんが、風が吹けばコートを着ていても、凍えました。食事は、羊が中心でした。せっかくの機会なので、モンゴル料理を食べようと心がけたのですが、羊料理と羊料理の間に、羊を食べる、という感じで、匂いが辛い時もありました。ロシアレストランもおいしかったです。

レコーディングが順調に進んで、オフが一日だけとれたので、映像収録も兼ねて、ウランバートル郊外にドライブに連れて行ってもらいました。
見渡す限りすべて高原で、馬に乗せてられます。驚くべきことに、モンゴル人は誰でも馬を乗りこなします。運転手やアシスタントのモンゴルの男達が、いきなり馬に飛び乗ったのは、さすが騎馬民族と思いました。
騎馬民族といえば、モンゴル滞在中に感じたのは、モンゴル人の持つ暖かさと気高さです。モンゴル帝国でユーラシア大陸を制覇したことを誇りの民族の記憶として残しているようです。「こいつらは世界一になったことがあるんだなぁ。日本人は経済で二位になっだけだもんなぁ」と思ったのを覚えています。

 そうでなくても、日本人はモンゴルをもっと大切にしないといけませんね。仏教徒だし、顔も似ています。日本の相撲を生中継で見ています。私は大の相撲ファンなのですが、朝青龍の振る舞いは横綱としては問題がありましたが、国としては、彼をもっと大事にしないといけませんでした。近い将来、大統領になる可能性だってある人ですから。
中国が経済的に力を持ち始めて、日本との間で、様々な摩擦が出てきていますが、そういう意味でもモンゴルは、大切です。モンゴルとベトナムと友好関係を深めることは、中国に対する牽制にもなるはずです。中国と仲良くやるためには、バランスが大切なのではないでしょうか?そういう地政学的な視点が日本人には足らない気がします。
 ちなみに、私は昨年1月にベトナム・ホーチミンにも行きました。モンゴルとベトナムの共通点は、中国に対して非常に警戒心が強い(言葉を選ばずに言うと「嫌中」な人が多い)ことと、親日的であることです。この二つの国と仲良くすることは、国際政治的にも、日本にとって重要だと思います。

 ベトナムは、ベトナム戦争でたくさんの方が亡くなられたので、国民の大半が30代以下という年齢構成だそうです。隣国タイと比べても勤勉で、経済的に伸びていくだろう事は短い滞在でも実感できました。そして、ベトナム人も誇り高い人達でした。「アメリカ合衆国に戦争で勝った世界で唯一の国だからな。」と思っています。

 普段は、政治的でも右翼的でも無い私ですが、海外滞在中は、いつもそんな事を意識してしまいます。コスモポリタン(世界市民)を理想とする夢は私も持ちたいですが、現実には、海外滞在中は日本政府発行のパスポートが無ければ何もできません。日本国民であることを意識させられます。そして、世界の中での日本の存在価値を上げていくことは重要だと思います。
 特に、文化交流を深めることは、日本の平和のためにも、おそらくは世界の平和にもつながる事です。

 さて、モンゴルでのレコーディングをした楽曲は、東京エスムジカSwitched on Journey』(ビクターエンターテインメント)に収録されています。興味のある方は聴いてみてください。
 エスニックサウンドをポップスにとりいれるのは、以前からある手法ですが、近年では、M.I.A.が注目されていましたね。Jポップの発展を模索する中で、ワールドミュージックとの融合は、これからの新しいプロジェクトでも挑戦してみたいと思っています。


 グローバルな活動に関連してご紹介。東京芸術大学のシンポジウムでお話しした「グローバル化するJポップと日本の音楽業界」の資料はこちら。また、誠ブログでまとめた、「グローバルな活動という視点でのスイバケプロデュース」(前後編)は、こちらです。

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