2011年3月29日火曜日

ソーシャルビジネスで貧困を救い、経済史とロボットで未来を視る、美女は平均値のモンタージュ、読書日記<1>

 最近、読んだ本から、面白かったものをピックアップしました。

読書の目的はいろいろあると思いますが、私は「目から鱗が落ちる」という体験が、最大のカタルシスだと思っています。それまで知らなかった価値観や考え方、方法論を知ることで、自分の思考が重層的に深められる(ような気分になれる)ことが、個人的には一番、嬉しい読書体験です。

今回は、そんな本が沢山ありましたので、まとめて紹介します。


『ソーシャル・ビジネス革命~セカイの課題を解決する新たな経済システム』(ムハマド・ユヌス著)

ソーシャルメディアにまつわる本を探していて見つけた本です。同じソーシャルでもインターネットではなくて、社会貢献をするビジネスという意味でした。著者はバングラディッシュ人で、世界的に有名な経済学者です。
ソーシャルビジネスという新しい概念を提唱しています。従来の社会貢献は、NGOや財団など寄付金をベースに行っていたのに対して、継続が可能なように、利益を上げながら、社会貢献をしていくという方法論です。いわゆる企業と違うのは、目的を、「株主利益の最大化」ではなく、貧困の解消などの、社会的な問題の解決に置いていることです。それ以外は、従来の企業と同じで、本書の後半では、ソーシャル企業のみの資本市場の設立まで提案しています。
著者は、最貧困層向けの銀行をつくり、マイクロファイナンスという仕組みを成功させているようです。これは、バングラディッシュの女性に低額のお金を貸し付け、安定的に仕事ができるようにさせる仕組みですが、更にスゴイのは、彼女達が、その銀行の所有者にもなっているということです。組合みたいな感じですよね?一方できちんとした経営管理と事業計画があって、適正な利益を上げながら規模を拡大しているのだそうです。
既存の大企業と連携して、子供の栄養問題を解決するヨーグルト製造販売や、安全な水の販売などでも成果が上がり始めているようです。
非常に興味深い現象ですし、企業の在り方を考えるのによい機会だと思います。この発想ができたのは、アジア的だなと思いました。ツールとしてアメリカ型の企業運営を使いながら、目的が株価的な意味の企業価値の向上では無いところが、素晴らしいです。
日本語訳も読みやすいですし、一読をオススメします。


『経済危機のルーツ~モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか~』(野口悠紀雄・著)

『「超」整理法』などのベストセラーを持つ著者の本業である経済学の本です。1970年代から40年間の世界経済を俯瞰して、日本との関わりの中でまとめています。論理的で非常にわかりやすい本です。
「デリバティブ」などの、何度も耳にしているけれど、意味がよくわからない金融工学の言葉が
初めて理解できたような気がしました。いわゆる「リーマンショック」と言われた、アメリカの低所得者向け住宅ローンの仕組みが何故、破綻したのかも、わかった気分になれました。
一般に流布している、経済や金融に関する、それらしい言説に、いい加減な内容が多いかをチェックすることができると思います。


『ロボットとは何か~人の心を映す鏡』(石黒浩・著)

著者は、人間型ロボット研究において、世界的に第一人者だそうです。通常の発想とは違います。科学と技術と哲学が、自然な形で、著者の脳の中で融合しているような気がします。
「ロボットを知ることは、人間とは何かを知ることだ」という著者は、自分の娘を模したロボットを
つくり、娘の反応を記録し、分析します。自分をモデルにしたロボットをつくり、遠隔操作で動かすことで、他人が自分(のロボット)にどのように反応し、何を感じるか、そういった実験を続けることで、人間の未来を予見しています。
こんな日本人がいて、嬉しいです。


『男女の怪』(養老孟司、阿川佐和子)

ベストセラーエッセイストによる対談です。お二人とも私はファンなので、内容以前に、読んでみたいと思う本なのですが、何でも知っている養老さんと、省略した説明を許さずに、わかりやすい言葉になるまで追い詰める阿川さんのやりとりは、非常に面白いです。
沢山の人のモンタージュをとって、その平均値でつくった顔は美女になる、など、雑学の元ネタとして使える話も盛りだくさんです。


その他、読書記録は、Media Markerにまとめてます。
興味のある方は、こちらからどうぞ

2011年3月22日火曜日

今、大切なこと。 ~プロ野球開幕延期論議で思うこと~

 プロ野球の開幕延期が問題になっています。
 
 日刊スポーツ「セ29日に開幕延期、4・3までデーゲーム」

 パ・リーグは、開幕を4月12日に延期することにましたが、セ・リーグは、一旦、予定通りの開幕を決めた後に、3月29日に変更しましたが、ナイターや東京ドームでの試合の実施についても、明確な判断を示さず、批判を浴びています。

 この問題について、考えみましょう。

私は、プロ野球のペナントレースは行うべきだと考えます。但し、目的は球団の予定していた収益を確保することではなく、被災地にもたくさんいる野球ファン、直接、被災はしていなくても、悲惨な映像を見て、心が荒んでいるだろう日本人のために行うのです。

関東地方の電力に問題があるなら、名古屋以西でやればいいですし、ナイトゲームが問題なら、東日本ではデーゲームのみにすればいい。ただ、それだけのことだった筈です。そういう真っ当な判断ができない、球団経営者の見識の無さ、一部球団の横暴が、事態を難しくしたと思います。

被災地である仙台にフランチャイズがある楽天イーグルスが所属している、パシフィックリーグが、開幕を遅らせるのは良いと思いますが、セントラルリーグは、デーゲームと名古屋以西と限定して、予定通り開幕すればよかったと思います。

実は、子供の頃からの野球ファンの私が気になるのは「延長戦無しの9回終了制」を
導入すると言っていることです。メジャーリーグに引分けが無いのは、よく知られています。なんでもアメリカが正しいとは思いませんが、引き分けも一つの美しさであるサッカーとは違い、決着をつけるのが野球の基本的な様式だと私は思っています。
以前は引分けが多かった日本のプロ野球も、とりあえず12回まではやるようになって、改善したと思っていたところだけに、今回のセリーグの方針は、とても残念です。デーゲームは日没したら翌日に延長戦、ないし再試合をすればいいのです。それでは、興行が成り立たないという考え方は、本末転倒だと思います。
 野球の醍醐味を守ることが、今のような非常時だからこそ、大切なのではないでしょうか?
 「電気が無さそうだから、延長戦はやらない」というのは、野球を大切にする姿勢とは真逆な考え方です。


 プロ野球選手会が、開幕延期を申し入れたのは、一つの見識として評価すべきだと思います。真っ当な感覚をフロントよりも選手が持っていたということになりますね。ストライキの可能性もささやかれていましたが、ストはやるべきでないと思います。野球選手は、プレイを見せることが最大の仕事です。自ら職場放棄をすることは許されません。
 仮にストライキをやるとすれば、「開幕反対」というような小さなテーマではなく、オーナー会議の不見識を正すような、プロ野球機構の抜本的な改革を目的にするべきです。コミッショナー権限の強化も必要でしょうし、親会社の出向者による「互助会」的な運営から脱して、12球団だけでなく、二軍や独立リーグ、実業団も含めて、野球全体をビジネスとして発展させられる組織をつくることは急務です。学生連盟を含めた、野球文化を振興する視野も大切でしょう。

 話がそれました。

 私が今、一番、大切だと思うのは、日本人が100年以上掛けて、育ててきた野球文化を守り、発展させていくという視点です。魅力的なプレイを真摯に観客に見せることが、日本国民に、被災者の方々に勇気を与えると信じて、粛々と野球に取り組むことが、野球そのものを磨くことが、プロ野球関係者の使命です。
 もし、そんな力が無いのなら、そんなプロ野球は要りません。廃れてしまえばいいのです。

 音楽についても、私は同じことを思っています。コンサートをやみくもに自粛することではなく、社会的状況へ配慮をしながら、よい音楽を届けていくことが、今の日本に必要だと信じています。
 もし今、求められないのなら、そんな音楽は要らないのです。

 そんな覚悟と自負を持って、それぞれの持分で最善を尽くすことが、危機だからこそ大切なのではないでしょうか?








2011年3月16日水曜日

未曾有の大災害。今こそ日本の良さを再発見して、社会の再構築につなげよう!

今回の地震は、日本だけで無く、人類史上に残るような大きな災害だと思います。
東北をはじめとした被災された皆さんは、本当に辛い思いをされていることでしょう。
まるで映画のような映像を見る度に胸が痛みます。
地震、津波から5日目になっても、まだ多数の行方不明者がいらっしゃいます。
福島の原子力発電所も心配です。

連日のニュース報道を見ていて、気持ちが沈んでしまいました。
自分への檄の意味も兼ねて、今回の惨事から何を学ぶべきかも考えてみたいと思います。

今回の災害を海外の人達はどうみているのでしょうか?
日本人の対応力、協調性に世界は驚いているようです。

ツイッターからの引用になりますが、
@DissizKoichi: CNNでもBCCでも絶賛されている。「有史以来最悪の地震が、世界で一番準備され訓練された国を襲った。犠牲は出たが他の国ではこんな正しい行動はとれないだろう。日本人は文化的に感情を抑制する力に優れている。」日本人であることを誇りに、冷静に理性的に行動しよう!

@yamamoto1208:東日本大震災への関心が高い中国では、「非常事態にもかかわらず日本人は冷静で礼儀正しい」とツイッター上で絶賛。「こうしたマナーの良さは教育の結果だ。日中の順位が逆転したGDPの規模だけで得られる
ものではない。中国では50年後でも実現できない」。この「つぶやき」は7万回以上も転載

@ozakikazuyuki:アメリカのハリケーンのとき、1ドルの飲料水が10ドルで売られたらしい。それを「市場原理」という学者がいたそうだ。なにが市場原理だ。日本では「被災地に無料開放」が起こる。日本に100年以上存続している企業が世界一多いのは、緊急時の「泥棒根性」を戒める真の商人魂があるからじゃないか。

などと言われていますが、私も同感です。
NZの地震と比較することは不適切かもしれませんが、ビルの倒壊は少ないです。
パニックも起きていないし、強奪や犯罪の多発もありません。
これは国際的な感覚で見ると、驚くべきことなのでしょう。

もう一つツイッター引用を。

@ichiyanakamura: デマが拡散されずパニックもないクールな国であることを海外に示したい。

このツイートにも、全く同感です。そして、今回は、日本人の協調性と我慢強さ、そしてクールさを示すことができたのではないでしょうか?


今回は、ツイッター、フェイスブック等SNSの便利さを確認しました。
固定電話も携帯電話、携帯メールも不自由な状況で、ツイッターのダイレクトメールやフェイスブックのメッセージは普段通り使えました。
もちろん、重度の被災地では役に立たなかったでしょうが、都内でも連絡が不自由になったことを考えると、明らかに有益でした。
デマが多いという意見もありましたが、自分のTLは、自分がフォローした人達の発言です。私はフォローする人を選択し直すよいきっかけになりました。有益なツイートをしてくれる人が並んでいるのは、とても便利でした。
自己判断が大切なことは言うまでもありませんけれど。

災害をきっかけに、テレビ局のニュースがUSTREAMやニコニコ動画などで見られるようになりましたね。これまでなかなか実現しなかった、最もわかりやすい「通信と放送の融合」が実現したことになります。この経験は平常時にも活かされるべきでしょう。

被災地を助けようという日本人の思いを強く感じました。様々な方法で、義援金がたくさん集まっています。

一方で、
@GTkoshi: モバゲーいいかげんにしろ。義援金なら自分の懐から出せ。これはユーザーから寄付集めながら会員登録を稼ぐ行為じゃないか。同額負担するグルポンの方がまだまし。RT @DeNAPR 「東北地方太平洋沖地震」

というような声をありました。

企業は、売名行為と取られない社会貢献が必要な時代ですね。手数料の問題も気になりました。お金を動かすのに手数料はつきものですが、公的な組織を活用して、寄付したお金は、そのまま被災地に渡る仕組みを構築したいですね。
(ちなみに、私が理事を務めさせていただいている社団法人日本音楽制作者連盟でも、東北関東大震災の義捐活動を行っています。寄付先団体選定の理由の公開と入金額全額を義援金にすることが約束されています。寄付先に迷っている方は、こちらをご活用下さい。)



東京電力が予定した「計画停電」が、ネットを通じた節電の呼びかけで回避できたのも印象的でした。20%程度の節電は、力を合わせればできるんですね。エネルギー供給の考え方も,根本から考えるべきだと思います。

様々なレイヤー、側面で、時代の流れは、集中管理から分散型になっています。代替エネルギーの開発だけでなく、多様な自家発電など「巨大電力会社から買う」以外のエネルギー確保の方法を
模索するべき時代なのかなと。

今回の災害を契機に、日本の良さは活かしつつ、社会の仕組みを変えていくことが、亡くなった方へのせめてもの、弔いでは無いかと、思っています。

未来に向けて、前向きに頑張っていきましょう。

2011年3月1日火曜日

メール時代の礼儀作法。ソーシャル時代のマナーは? ~ちょっとライフハック~

twitterを見ていたら、出版業界の編集者の方が、先輩からの教えとして、「仕事の依頼をいきなりメールをするのは失礼、本当は手紙をだすべきだが、すくなくも電話をするようにと教わった」
と書いていて、
「でも最近読んだ本で、いきなり電話は時間に割り込んでくるので困る。仕事の依頼はメールにして欲しい、と書いてあって悩む。」とありました。

コミュニケーションの手段が変ると、マナーも違ってきますよね。
私も同様の悩みは持ったことがあります。
新旧両方に通用する私なりの方法論を紹介します。

仕事の用事で初めてコンタクトをとる場合、私はまず、メールを出します。

その際に
・タイトルに、用件ないしは紹介者の名前を入れる。
・メールでの連絡が不躾であることを丁重にお詫びする
・用件の概略を記す
・ということを相談したいので、一度お会いしたいです。改めて電話させていただきます、末尾に記す
・2日待って、レスがなければ、電話する

この方法だと、
1)仕事の連絡はメールの方が明らかに利便性が高いという人にも
2)初めての仕事はメールでは判断できない。会って話したいという人にも
どちらにとっても、失礼ではない、ファーストコンタクトになるはずです。

1の人はメールに返信すればよいし、断りたい場合は、概略を見て無難に
(本当は別の理由でもスケジュールが忙しいから断るなろ)断ることもできる
2の人にとっては、アポイントのための電話の前フリと捉えてもらって、電話が突然にならない
ということになります。

さて、この感覚は、ツイッターが広まり、フェイスブックもビジネス使用に耐えうる状況になりつつ
ある今は、どうなっていくのでしょうか?

ツイッターで、お会いしたことの無い人に相談する場合は、
自分がフォローしていて、相手は自分をフォローしていないという状況でしょうから、
ツイッターのreplyで、
「突然申し訳ありません。お仕事のご相談があるのですが、DMをお送りしてもよろしいでしょうか?
よければ、私をフォローしていただけますか?」(67文字)
と呼びかけることになりますよね?
私はまだやったことがないですが、時折、そんなことをやっている人はいますね。
お互いツイッターをやっているのだから、これでも失礼には当たらないという判断でよいのでしょう。

マナーの基準は時代状況で変わっていくことですが、礼儀でその人の人間性を判断されることは
ありますから、新しいマナーが確立するまでは、悩ましいことが続きますね。