2011年2月13日日曜日

読書記録を公開する

佐々木俊尚さんの『キュレーションの時代~「つながり」の情報革命が始まる』を読みました。
示唆に富む本でしたし、発刊されたばかりで注目度も高いかなと思い、ITmedia誠ブログに読後感をまとめて書きました。こちらをご覧下さい。

昨年秋頃から自分の読書記録をつけ始めました。同じ本を二度買ってしまったり、読んだけどどんな本だったかを失念したりということが多いので、自分の備忘が目的です。ついでに(と言うのも不謹慎ですが)公開してしまうことにしました。
もちろん、とても恥ずかしいのですが、ソーシャル化していく時代に、コンテンツのプロデュースを続けていくとしたら、ユーザーに自分の脳みそを晒す覚悟は必要だと思っているので、鍛錬すると決めました。
どれだけの人が興味を持ってくれたかはわかりませんが、時折リアクションがあって刺激になったり、知人に何かを説明するときに、「これ見て」と言えば済むのが楽だったり、新しい経験をしています。
これから、電子書籍が広まって、ソーシャルリーディングが一般的になってくると、
「読書の共有」が、日常的かつ継続的にできて、面白いだろうなとイメージできます。

最近、いくつか勉強すべきテーマが見付かって、久しぶりに図書館に通い始めました。10数年ぶりに行き始めてみると、図書館もデジタル化されていて、予約や検索や貸し出しが、とても便利ですね。昔から図書館の雰囲気は好きなのですが、数フロアーに渡って、書籍が並んでいるのを眺めると、「人類の知の蓄積がこんなにあるんだ(しかも日本語文献だけで)!」と感動します。
運営費用は税金で賄われているのでしょうが、これこそ、社会的に成功した人の寄付や少額のドネーションで支えるべきだなと、思ったりしました。

インターネットは5年ごとに大きな変化が起きると言われています。2000年頃はポータルサイトが重要でページビューが基準の時代。その後、Google検索が世界を席巻し、2005年頃には、SEO(検索エンジン最適化)が最も大切と言われました。昨年辺りから、ソーシャルメディアが主流になり、人と人とのつながりが注目されています。前述の『キュレーションの時代』もソーシャル化した現状の展望について書かれているのですが、その際に忘れてはならないのは、新しい潮流が来たときに、古いツールは廃れるわけではないということで、取って代われるのではなく、積み上がっていくというイメージだと思います。
ポータルサイトも一定の有益性はあるし、検索は便利ですものね。
月に数回の図書館通いをしながら、そんなことを思っています。

誠ブログはこちら

読書記録はこちら
最近では、『日本人の知らないウィキリークス』も面白かったです。

2011年2月6日日曜日

大相撲はスポーツじゃない。文化的な伝統を守るために協会の仕組みを改善すべし。~大相撲八百長疑惑の考え方~

現役力士のメール履歴から、本場所の相撲で八百長が行われたのではないかと連日、メディアを賑わしています。報道の論点がおかしいと思うので、整理したいと思いました。

私の意見は
「大相撲を西洋型スポーツの価値観で裁くのは間違っている。
 文化的な伝統を守ることを主眼に、既存のビジネススキームや既得権益を改善することが
必要」です。
そしてここ数年に不祥事の原因は、親方衆、協会幹部が伝統文化の継承者としての自覚が緩んでいたことだと思っています。

そもそも、現在の日本相撲協会は、芸能団体としてもスポーツ団体としても奇跡的に成功している団体ではないでしょうか?
歌舞伎と比較しても、プロ野球と比較しても、財務や収益の安定性は抜きんでています。
(財務分析詳しい方がいらしたら、こちらを分析して、教えてください。)

財団法人として税務的にも優遇され、日本全国で社会にも根付いて、
とても恵まれた状況です。
それは「国技」と呼ばれ、国民からレスペクトされている存在であることが前提で、
そのレスペクトの基礎である伝統文化を継承していく重い責任が相撲協会と親方衆には、
あるのです。
恵まれた環境では、甘えが出てくるのは歴史の常ですが、おそらくは、親方衆の自覚も緩み、角界の大事な慣習も形骸化しているのでしょうね。
猛省を求めたいです。

そうでなくても、メディアが多様化して、情報の隠蔽は不可能な時代です。若い力士は、今の日本社会のモラルに引っ張られていき、放っておけば意識も緩んでいくでしょう。
これまで以上に、教育、指導が必要のはずですね。

朝青龍についても、いろんな意見がありますが、私は100%親方の指導の責任だと思います。
素晴らしいアスリートだけど、様々な行為から横綱としての自覚が足らないのは間違いなく、個人的には、高砂親方だったのが不幸だったなと思ってます。
元大関・朝潮は現役時代からお人好しで、親方には向いて無さそうでした。
それなら、一門の先輩親方がもっと厳しく指導するべきだったんでしょうね。

話がそれました。相撲の文化的な価値が何かという話をしないといけませんね。
もちろん、相撲ファンがそれぞれ自分なりに大事にすればよいことだと思いますけれど、
少なくとも西洋的スポーツ観、特にアメリカ的な発想で相撲を改革することには、
断固、反対です。

相撲のルーツは「神事」です。神様に捧げる「芸事」の一つです。古墳時代までさかのぼれると言われています。もしかしたら、大和朝廷(現天皇家)よりも長い位の歴史があるということです。
Wikipediaによると、突く殴る蹴るの三手の禁じ手・四十八手・作法礼法等が
定められたのは、神亀3年(西暦726年)だそうです。
京都遷都(鳴くよウグイス平安京って覚えませんでしたか?794年です)より古いって、
すごいですよね?

礼節を重んじること、一つの美意識に貫かれていること、技を磨くことで体重差を克服できること等々、相撲ならではの魅力は、日本独自の魅力と結びついています。
だから、海外の人達も惹かれているのです。突然、今っぽい言い方をすると、国際競争力のある魅力的なコンテンツでもあるのです。
日本の伝統文化として大切にすべきではないでしょうか?

近年の不祥事は、弁解の余地が無いものが多いとは思いますが、相撲をろくに観ていない人達が、小市民の価値観や、アメリカスタンダードな社会観で相撲について語るのは、強い違和感があります。

相撲協会がダメなのは、古い体質なのだからではなく、きちんと伝統を守るだけの自覚が薄まってるからだというのが私の意見です。
儲かっている団体ですから、既得権益者の排除、整理も必要かも知れません。外部の有識者をいれた開かれた理事会にもした方がよいでしょう。
ただ、忘れてはならない、一番大切な事は、日本相撲協会の存在価値は「伝統的文化の継承」にあるということです。

今年からプロ野球は、ストライクとボールの表示を大リーグに合せて、ボールを先にするそうです。
これまで「1ストライク1ボール=ワンツー」と呼んでいたのも「2ボール1ストライク=ツーワン」になるんですね。
野球を国際基準に合わせることには、賛成です。ボールのサイズや材質もストライクゾーンも、国際共通化していくことは、日本の野球の魅力を増すことだと思います。

柔道は、世界柔道協会の会長が外国人になって久しく、カラー柔道着とか、ポイント重視とか古来の柔道とは違う方向に進んでいます。
これも私は進めていった方が良いと思っています。
世界の「JUDO」になったスポーツで、日本人柔道家がどう闘うのかを楽しみたいです。

野球はベースボールに、柔道はJUDOにしていきましょう。でも、相撲をSUMOにすることは、できないのです。

そもそも、国際化という観点でも、相撲は独自の発展をとげています。この数年間、番付の上位3~5位は外国人力士が占めています。
まさにウインブルドン化(全英オープンテニスの優勝者がイギリス人以外である現象)が起きていますが、マワシはスカートになってませんし、力士はチョンマゲをしています。
国籍が問題なのではなく、相撲の伝統が継承されていることが肝要なのです。
アマチュア相撲は100カ国以上に広がっているそうですし、日本文化のシンボルとして外交にもプラスに使えるはずです。
核部分は西洋型に改良せずに「国際化」するビジネスモデルの原型と言えるかもしれません。

日本にとっての、相撲の価値をマスコミも相撲協会も日本人も再認識すべきだと、
強く思います。

僕の一番古い相撲の記憶は、テレビで観た先代貴乃花(現貴乃花親方の父)と輪島が大関争いです。おそらく小学校に入ったばかりで、もう40年近くファンでいる訳です。
祖母とも父親とも話せる唯一の共通の話題です。そんな家庭も日本中に多いのではないでしょうか?

今日の午後には春場所中止のニュースがありました。本当に残念です。
スキャンダルや興味本位の報道に惑わされることなく、力士は土俵の充実に、親方衆は伝統を守るためのシステム改革に、真剣に取組んでもらうことを、一相撲ファンとして心から願っています。

追記:相撲を国際的な視点で捉えて書きました。こちらもご覧下さい。