2010年12月4日土曜日

白鵬の優勝と国際化とは何かについて

 九州場所が終了して1週間経ちました。横綱白鵬の今年五度目(六場所中)の優勝で幕を閉じた。久々に千秋楽まで優勝争いがあって、盛り上がった気がします。子供の頃からの大相撲ファンの私も、横綱朝青龍の不行跡報道あたりから、ちょっとシラケて、最近は、熱心に見なくなってましたが、九州場所の後半は、録画して観ました。
 幕の内力士の土俵入りを観ていると、本当に外国人関取が増えましたね。外国人力士が増えたことをネガティブにとらえることも多いですが、私は必ずしもそう思いません。但、その理由は、民族で差別をしてはいけないとか、相撲界ももっと開放的に変化していくべきだとかいうことではありません。私は相撲に関しては、保守的ファンなので、むしろ逆のベクトルの考え方を持っています。相撲は、古くからの伝統をでき得る限り守っていくべきだし、海外の文化や行動様式を相撲界に持ち込むことには、基本的に反対です。(例えば、女性を土俵に上げないことにも賛成です。将来女性首相が日本に誕生しても、この原則は守って欲しいです。男女差別ではなく、むしろ女性に対する憧憬の象徴だと思っています。)
 私が白鵬を支持するのは、その取り口も考え方も、相撲の伝統に則っているからです。中途半端な日本人力士より、よっぽど相撲の歴史についても学んでいます。
 今の大相撲の源流をどこに求めるかはいくつかの考え方があるとは思いますが、私は日本の農村社会をベースにしていると考えています。昭和初期は、身体の大きい農家の三男坊は、お腹いっぱいご飯を食べるために、相撲部屋の門を叩いたと言われています。日本の農村社会が崩壊した現在、相撲界の基礎は脅かされるのは必然です。そこにモンゴルや東ヨーロッパの人達が入ってくるのも社会の構造を考えると自然なことなのではないでしょうか?
 そこで大切なのは、相撲が作り上げていた様式とその背景をきちんと伝承していくことです。日本語を教えるのは当然ですが、相撲の前提となっている文化をきちんと伝え、プロフェッショナルの関取になるというのは、その文化を背負うことであることを理解させるのが肝要です。朝青龍は素晴らしいアスリートで、横綱としては魅力的だったと思いますが(個人的には取り口が千代の富士に似ていて、私の好みではないのですが)高砂親方がきちんと教育できなかったことが、不幸なことでした。好角家としては、元大関朝汐は現役時代から、しまりのない男だったよな、と知った風な憎まれ口を言いたくなります。
 話を戻すと、近代化、都市化が進んだ日本で、伝統を守るのが難しくなった日本の大相撲を、相対的に西洋化が進んでいないモンゴルの人達に支えられて守っているというのが、私から見えている相撲界の風景です。私が好きなのは相撲そのものなので、大切なのはその伝統が継承されていくことです。仮に血族的には完全な日本人でも、伝統を背負う気概がなければ、意味がありません。そういう意味で、今の外国人力士達の中にも素晴らしい力士はいると思います。特に横綱白鵬は、日本人以上に日本人らしいですよね。

 国際化の流れは、インターネットの発達で、加速度的に進んでいきます。その際に、自分のアイデンティティをどこに置いて、何を変えて、何を変えないのかは大切です。相撲以外のことでは、私はリベラルな考えを持っていることが多いのですが、(例えばプロ野球は、国際標準の経営とルールに大至急するべきだと思っています。)日本人らしさは何なのかは、しっかり見極めて生きていきたいと思っています。

 ちなみに、私は近年応援しているのは、稀勢の里でした。早く大関にと思っていたのですが、結果が出ないので、諦めかけていたのですが、今場所の活躍をきっかけに(白鵬の連勝を止めたことは歴史に残ります)飛躍を期待したいです。

 

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